人間にとって怖ろしいものとは、何でしょうか。私は、現代に生きている人の中で人間を怖ろしいと感じている人はかなりの数存在すると思います。現代文化は、必然的に人間を怖ろしいものだと思わせるような文化であるからです。なぜ人間は、自分と同じ人間に対して恐怖を感じるのでしょうか。太古の昔からそうだったわけではない、と私は考えます。ずっと以前に生きていた人間は、人間ではなく他のものを怖がっていたのではないかと私は思います。当時は、人間以外に怖るべきものが沢山あったのだと私は思います。当時の人々は、空や海、太陽、草木など人間の周りに存在するあらゆるものを怖れていました。現代に生きる人間は、それらを怖れる気持ちが薄れました。その代わりに、今度は人間が人間を怖れるようになったのです。人間同士が、怖れ争い合うこととなりました。戦争は、怖れの気持ちから生まれます。自分の弱い心を覆い隠そうとして、他人を攻撃するようになります。しかし本来は、人間にとって恐ろしいものは人間以外の存在です。人間は、互いに協力し合わなければ生き残ることが出来ません。これは、今も昔も共通の事実です。もしも、私たちの祖先の人々がただ争い合うだけで協力し合わなかったならば、今日の私たちは存在しえなかったかもしれません。人間同士が争っている場合ではないのです。しかし近代以降の時代は、人間は競争をしなければ生き残ることは出来ない、進化することは出来ないという考え方が生まれてきた時代でもあります。競争は確かに、生物の種の生き残りにとって大きな役割を果たしてきました。しかしそれは、あらゆる種類の競争は望ましいということを意味するわけではありません。人間が生き残るためには、本当に競争が必要なのでしょうか。競争は、競争するとともに互いに助け合う仕組みがあってこそ効果を発揮するのではないでしょうか。ただ他人を蹴落とすだけのための競争は、決して人間を助けることはありません。しかし反対に、互いに助け合う姿勢がある上で切磋琢磨し競争することは人間にとって有益になりえます。現実の人間の感触を感じることが出来なければ、人間は生きていけません。人間は幸か不幸か、独りだけで生きていける生き物ではありません。この事実を変えることは出来ません。なぜなら、人間は弱い生き物であるからです。しかし考え方を変えてみれば、独りだけで生きることが出来ないからこそ、他の人と協力する機会が生まれます。もしも人間が独りで生きる生物であったならば、他の人間と出会うこともなかったかもしれません。そのように考えると、自分がどれほど嫌いだと思っている人のことも赦すことが出来ます。なぜなら、もしも独りで生きていたならば、そのような人とも出会うことはなかったかもしれないからです。この世で出会う人間は、全て特別な存在です。全ての出会いが、一期一会なのです。あらゆる出会いを一期一会だと感じ感謝することが出来るようになることは、私にとって人生の大きな目標の一つであり続けています。